長野のりんご
長野県はりんごの盛んなところです
長野県はりんごの栽培に適したところで、県内の各地で盛んに行われ、生産量は全国で2位となっています。
また、県内で生まれた品種も多く「秋映・シナノスイート・シナノゴールド」は、積極的に売り出しているとてもおいしい品種です。シナノスイートはりんごの王様「ふじ」と「つがる」を交配したもので、蜜はありませんが、とても人気が高いです。蜜入りが人気が高い中でこれほど人気があるのは、ジューシーで甘くて現代人に好まれる美味しさからと言えるでしょう。
栽培における気象条件
果樹の中でも寒さに強いと言われていて、年平均気温が6℃~14℃が育つ条件です。生産地の年平均気温を見てみると10℃前後となっております。栽培地はこの10℃前後の気温の地域にあり、おいしいものが出来る条件を満たしています。
りんご農園より産地直送
1,600円~
長野産のりんごが美味しいわけ
アルプス山脈に囲まれ、朝、夕と昼間の寒暖の差が非常に大きい所です。この寒暖の差が美味しさに必要な条件なのです。気温の低い夜、無駄な呼吸をすることなく、甘さが凝縮するので美味しいものが生育するのです。
また、山々に囲まれているため台風の被害も比較的少なく、日照時間も長いので美味しいりんごを栽培する為の気象条件が揃っています。
長野のりんごは蜜たっぷり - 蜜の正体は?
りんごふじは蜜が入っていてとても美味しい品種です。
そのたっぷり入ったものは美味しさのバロメーターともなっています。
この蜜の正体は、実は葉の光合成によって出来たソルビトールという糖質が果肉にたまって出来た物です。その色が蜜の色をしているので呼ばれていますが、実際は名前ほど甘くはないんですね。
しかし、蜜があると言うことは、十分に太陽の光を浴びて甘くなっているという裏付けでもあります。つまり、日照時間など気候によって蜜の出方も変わってくるので、その出来具合を知ることが出来る訳です。蜜は最初、果心部と果肉部の境界あたりで出来て、徐々に広がって行きます。種類によってその出方が違ってきます。果肉が軟らかくなり、粗さが取れて滑らかになると食べ頃となります。
りんごは、種類によって蜜の出るものと出ないものがあります。「ふじ」や「あいかの香り」は、蜜が出る品種で、甘くて人気です。しかし、「シナノスイート」は、とても甘くて「ふじ」と人気を分かつ程ですが、ありません。蜜のあるなしだけでは、甘さの判断はできませんが、少なくともたくさんあるものは、太陽の光をたくさん浴びた甘くて美味しいものということです。
そもそも蜜の正体であるソルビトールという糖は、果糖の5、6割の甘さなので、たくさん蜜が出ているとしてもそれ自体ではそれほど甘くはありません。しかし、蜜のたくさんあるものは、実際、甘くて美味しいので、蜜そのものが甘く感じるように錯覚しているのです。
余談ではありますが、どこを食べても甘いというものではなく、皮の直ぐしたの部分が甘くておいしいところで、さらに、お尻つまり軸のある方と反対のところが一番甘いのです。皮を剥くときは、なるべく薄く剥くようにすると甘くて美味しいものが楽しめます。出来れば皮ごとワイルドに食べて頂くと本当に美味しく食べることが出来、栄養価も高いのですね。
長野県は、りんごの産地がたくさんあります
私は長野県へ仕事や観光でよく行くのですが、行く先々でりんご畑を見かけます。例えば、秋の栗のおいしい時期に小布施に行った時、見渡す限りその畑を見ることが出来ます。須坂や中野周辺は有数の産地です。
話は変わりますが、私はお蕎麦が好きなので、戸隠に何度が行った事があります。前回はちょうど春に行くことになり、高速道路を更埴ジャンクションから新潟方面に向かって快適に走行中、なんとナビの調子が悪くなり下りるところを一つ間違えて早く下りてしまいました。山道をぐるぐる廻って走っていると、りんごの木に綺麗な花が咲いているではありませんか!思わず撮ったのがこちらの写真です。
また、数年前、仕事の関係で安曇野のブルーベリー農園に行った時は、その隣や行く途中などにたくさんありました。それだけでなく、ももなど他のフルーツも盛んのようでした。他にも佐久・浅間地区は標高が600mから800mと高く、県内でも降水量が少ないところで、逆に日照時間が長いため、栽培する上で非常に条件がよく、標高が高いので昼と夜の気温の差がありおいしくて品質の良いものが採れます。
ここは、大抵のところでりんご農園を見ることが出来るので、ほぼ全域で栽培しているようですね。そして、日本の屋根と言われるアルプス山脈がそびえ立っていますので、台風の被害が少ないことも好条件と言えるかも知れません。青森県では何年かに一度台風が上陸して被害が報道されますが、長野県ではあまり聞きません。私の記憶では、ここ5,6年で2回ほど台風が通過したことがありましたが、報道されるような被害はなかったようです。明治初期から栽培が始まり、今日に至るまで続いているのは、気象条件や地形、歴史的な事柄など様々なことが味方をしているようですね。
歴史的背景は?
原産地は、中央アジアと言われていますが、日本に最初に入って来たのは、奈良時代頃と言われています。当時のものは、和りんごと言われている品種で、中国から入って来たものでとても小ぶりのものです。
現在私たちが食べているのは、西洋りんごで中国のものとは区別していて、江戸時代にアメリカから入ってきたものです。その後、明治時代に入って、内務省勧業寮がアメリカから苗木を仕入れて全国に配布して、長野県にも入って来ました。これが県内で最初といわれています。
ヨーロッパから渡って来た品種もありますが、雨の少ない乾燥した風土のヨーロッパのものは、雨の多い多湿の日本では栽培が難しく、どちらかというと多雨の東部アメリカの方が日本の気候風土にあっていたようで、アメリカ産のものが広まりました。長野県では、明治30年頃から大正末期頃にかけて次第に県内各地に広まって行きました。
そして、昭和4年に始まった世界恐慌に伴い、主要産業であった養蚕が不調になったのを見て、県がりんごの栽培を奨励しました。涼冷な気候と寒暖の差がある内陸性の気候などが栽培に適していたことや、世界の動向などが栽培に後押しして広まったようですね。
しかし、その生産は、昭和37年のピークを境に、バナナやパイナップル、梨、いちごなど様々な果物が栽培、輸入されるようになり、近年、後継者問題なども相まって減少傾向にあります。しかしながら、今なお全国2位の生産量を誇り、品種改良を行いながら、新しいニーズに応えた品種作りに励んでいるようです。